【第17回読書会】吉田松陰の行動から何を学べるか?(「吉田松陰」童門冬二著)
南国市の塾「ハリー進学教室」です!
みなさん、こんにちは!高知県南国市の塾「ハリー進学教室」代表の荒牧です。
「ハリー進学教室」は、高知県東部から難関中学校・トップ中学校を目指す生徒さんへ、中学受験指導をしている塾です。
このブログでは、塾として・代表 荒牧として大切にしている考えを発信していきます。南国市で塾・進学塾・個別指導塾などをお探しの方の参考にしていただければ幸いです。
さて、本日は、先日12月6日に開催した、荒牧担当回の読書会についてレポートします。
吉田松陰の行動から何を学べるか?
私の担当回となった2025年12月6日の読書会では、
吉田松陰を取り上げました。
吉田松陰のことはあまりご存じでない方が多いかもしれませんが、
久坂玄瑞、高杉晋作のほか、伊藤博文(のちの総理大臣)、山形有朋(のちの総理大臣)、山田顕義(日本大学創立者)といった
数々の幕末・明治の英傑をわずか2,3年の指導で輩出した人物です。
彼は長州の学者(兵学)の家に生まれ、年少の頃にすでに長州藩の藩主に兵学を講義するなど、
かなりエリートとして育ちます。
彼の人生を一変させたのが、ペリーの黒船を実際に目にしたこと(1853)。
このままでは、日本が、アヘン戦争でメタメタにされている中国のようになってしまうかもしれない。
そんな想いに突き動かされ、動いていきます。
その後の彼の行動をまとめると、
・アメリカ密航未遂事件(1854)➡投獄➡出獄
・松下村塾継承(1857)
・老中暗殺計画(1858)
・安政の大獄で刑死(1859)※松陰29歳
となっています。この間、わずか6年。
相手に勝つにはまず相手の技術を知らなくてはならない、ということで、
当時死罪にもなりうる海外渡航を企て、実際にペリーの軍艦に乗り込むあたり、行動力が半端ではありません。
また、1858年に江戸幕府が朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約を結ぶと、天皇軽視と憤り、老中暗殺計画まで立て、
長州藩に働きかけを行っています。
この計画はさすがに無謀なもので、教え子からもほとんど協力を得られず、また、
長州藩からも危険視され、のちの刑死へとつながっていくのですが、
彼のオモシロイところは、「罪を自らあっさり認めて死罪になっている」ところです。
なぜこうもあっさり罪を認めるのか。
それは彼の純粋さがあったのではないかと思います。
たしかに、アメリカに渡航しようとすることも、老中の暗殺を企てることも、
法に触れることには違いがない。しかし、本当に日本のことを思えば必要であると本気で信じていた。
(だから悪びれるところがない)
こうした考え方は、現代ではなかなか理解が得られにくいかもしれません。
しかし、その後、教え子である高杉晋作が功山寺で挙兵(1864)し、
長州藩が倒幕へと舵を切り、その長州藩が中心となって明治政府が出来上がる。
そしてその明治政府の殖産興業、富国強兵策のおかげで、
日本は中国のように列強に虐げられることはなかった。
少なくとも、第二次世界大戦の敗北までは独立が保たれていったのです。
そうした歴史を振り返れば、吉田松陰の行動はあながち
突拍子な行動とはいえないのかもしれません。
皆さんはどう思われますか?考えてみていただけたら幸いです。
ありがとうございました!
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ハリー進学教室では、南国市だけでなく、香南市や高知市東部の生徒さんにも通っていただける塾です。
アクセスをご紹介しますので、参考になさってくださいね。
アクセス
・土讃線、ごめん・なはり線「後免駅」:徒歩19分 / 自転車9分 / 車6分
・南国市立大篠小学校:徒歩6分 / 自転車3分
・南国市立後免野田小学校:徒歩18分 / 自転車10分 / 車5分
目安です。(Googleマップより)

